7月9日.10日と開催されたほおずき市に行きました(=゚ω゚)ノ
この一大イベントの名前が「四万六千日」と「ほおずき市」と二つ名であることも不思議ですが、境内に入ってみると雷除けの札が売ってあったり…なんだこれ?と不思議な感じ。
私にとっては未知のイベントでした。
◼︎四万六千日とは
観音さまのご縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日(くどくび)」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。
月に一度、この功徳日に参拝すると、百日分の参拝に相当する!ご利益(功徳)が得られると信仰されてきました。
◼︎7月10日の功徳は千日分
なかでも功徳が最多な7月10日は「千日詣」と呼ばれていました。
浅草寺では享保年間(1716~36)ごろより「四万六千日」と呼ばれるようになりました。
つまり、そのご利益は46,000日分(約126年分)に相当するのだそうです!
なんと都合の良いことを昔の人は考えたのか(笑)
なお、この10日を待って一番乗りで参拝したいという民衆の思いから、前日の9日より人出があったので、前倒しして7月9・10日の両日が四万六千日のご縁日と受け止められるようになったんだそうです。
昔の方も待ちきれなかったんですかね?
◼︎ほおずき市はもともと、芝の愛宕(あたご)神社の縁日が始まり
「ほおずきを水で鵜呑(うの)みにすると、大人は癪(しゃく)を切り、子どもは虫の気を去る」
といわれるなど薬草として評判であったようです。
その愛宕神社の縁日は観音さまの功徳日にならい四万六千日と呼んでいたのですが、やがて
「四万六千日ならば浅草寺が本家本元」
とされ、ほおずきの市が浅草寺境内にも立つようになり、愛宕神社をしのぎ盛大になったと伝えられているのだそうです。
◼︎抱き合わせ?
江戸の昔、落雷のあった農家で「赤とうもろこし」を吊るしていた農家だけが無事であったことから、「雷除(かみなりよけ)」として赤とうもろこしが売られるようになりました。
ところが明治初年に不作が原因で赤とうもろこしの出店ができなかったことから、人々の要望により「四万六千日」のご縁日に「雷除」のお札が浅草寺から授与されるようになり、今日に至っているのだそうです。
このイベントに限らず、途中で複数のイベントが合体している祭ってありますね(確か府中のすもも祭りもそう)。
浅草寺はイベントが目白押しですからね、そうでもしないと毎日がお祭りになりそうですね。
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